手賀沼にディズニーランドが建設される計画があったことをご存知でしょうか?
現在の手賀沼は静かな観光地として知られていますが、かつては日本でも屈指のレジャースポットになるはずだったのです。
この記事では、その幻の計画「手賀沼ディズニーランド」の詳細と背景、そしてなぜこの計画が実現しなかったのかを掘り下げます。
さらに、当時の資料をもとに沼探が制作したオリジナルマップを使って、現在の手賀沼がどのように楽しめるかも紹介します。
この記事を読むことで手賀沼の新たな一面を発見し、実際に訪れる際の楽しみ方が広がるでしょう。
手賀沼ディズニーランド:手賀沼にディズニーって、知ってた?
夢の計画が動き出した
1950年代後半、日本は高度経済成長期に突入し、人々の生活は大きく変わり始めました。
家族で楽しめるレジャー施設への需要が急速に高まる中、千葉県の手賀沼周辺にディズニーランドを建設しようという壮大な計画が浮上したんです。
当時、アメリカでのディズニーランドの成功に影響を受け、日本でも同様のテーマパークを作る構想が進められました。
その場所として選ばれたのが東京にほど近く、広大な敷地が確保できる手賀沼。手賀沼がレジャーの中心地として栄える未来が描かれていたんですね。
なんでそんな計画が生まれたの?
この計画が持ち上がった背景には、日本全体が急速に発展していたことが大きく関わっています。
当時の日本は経済成長が進み、人々の生活にゆとりが生まれ、レジャー施設への期待が高まっていたんです。当時の社会情勢や人々のニーズが、この計画を後押ししました。
さらに手賀沼周辺はまだ開発が進んでおらず、土地の確保がしやすかったことも大きなポイント。
家族で楽しめる大規模なテーマパークとして、手賀沼ディズニーランドの計画は大いに期待されていたんです。
手賀沼ディズニーランドの夢の世界をマップで紹介!
そしてこちらが、当時の計画をもとに再現したオリジナルマップです!このマップを見れば、手賀沼ディズニーランドがどんなテーマパークになる予定だったのかが一目でわかります。
手賀沼タワーやロープウェイ、手賀沼コースターにスポーツエリアなど、当時の夢が詰まったこのマップ。見ているだけで、もしこの計画が実現していたら…と想像が膨らむはずです。
この後の記事では、このオリジナルマップを使って、かつての計画と現在の手賀沼周辺の楽しみ方を比較していきます。
手賀沼ディズニーランドがもし実現していたらどんな場所になっていたのかを一緒に探ってみましょう!
とその前に、まずは手賀沼ディズニーランドが実現しなかった理由を解説しておきますね。
手賀沼ディズニーランド:なぜ実現しなかったのか?
環境問題
手賀沼ディズニーランド計画が実現しなかった最大の理由の一つが、手賀沼の環境問題です。手賀沼は1950年代後半から1960年代にかけて、日本で最も汚い沼でした。
当時の急激な都市化によって大量の生活雑排水が手賀沼に流れ込み、手賀沼の水質は急速に悪化。ついには「日本一汚い沼」とまで呼ばれるようになってしまったのです。
沼全体が悪臭を放ち、魚も住めないほどの状態にまでなったことで、これでは「夢の国」ではなく「沼の国」になってしまう!と、ディズニーランド建設が困難な状態となりました。
財政問題
さらに、手賀沼ディズニーランド計画が頓挫したもう一つの大きな理由は、財政問題です。
ディズニーランドのような大規模なテーマパークを建設するには莫大な資金が必要ですが、計画を進めている企業が経営不振に陥り、計画の続行が困難になってしまいました。
手賀沼ディズニーランド計画には千葉県も関わっていましたが、手賀沼の水質改善や浄化作業にかかるコストが非常に高額であったため、これもまた計画のハードルを高くする要因となりました。
また同時に、周辺地域の人口が増加していたことから、行政としては手賀沼を観光地として整備するよりも、住宅地として開発するべきだと判断したのかもしれません。
このように、手賀沼ディズニーランド計画は環境問題と財政問題という二つの大きな壁に直面し、実現には至りませんでした。
でも結果的にディズニーランドは同じ千葉県の浦安に作られましたよね?
そうだね。では手賀沼ディズニーランド計画がどのようにして浦安へ移ったのかを見ていこう。
手賀沼ディズニーランド:ディズニーランドはなぜ浦安へ?
手賀沼周辺での計画が消えた理由
1963年頃に手賀沼ディズニーランドの計画は頓挫し、実現には至りませんでした。
一方でみんな大好き(現在の)東京ディズニーランドのお膝元、浦安は埋め立てが完了しておらず、この時はまだ海の底です。
確かにディズニーランド計画は復活するのですが、手賀沼周辺はすでに住宅地として開発されていたため、ディズニーランドを建設するための土地が確保できなかったのです。
夢の国、浦安へ
それでもディズニーランドの夢を諦めきれなかった関係者たちは再び集まり、新しい候補地を探し始めました。富士山周辺や伊豆など、複数の候補地が挙がったようです。
そんな中、1975年に浦安の埋め立てが完了したことが大きな転機となりました。やはり東京からのアクセスの良さを考える必要があったからでしょう。
浦安は東京都心からも非常に近く、車や電車でのアクセスも便利であり、ディニーランド建設予定地として理想的な場所でした。
また浦安の土地は干潟を埋め立ててできた広大で平坦な地形が特徴で、都市開発がしやすく建設コストを抑えることができるという利点がありました。
でも京葉線がディズニーランド(舞浜駅)まで開通したのって1990年ですよね?電車でのアクセスはむしろ不便だったんじゃないんですか?
いいところに気付いたね。実は浦安のディズニーランドを作った人たちの中に、京成電鉄も含まれていたんだ。(オリエンタルランドHP)
このような条件が揃い、最終的に浦安がディズニーランドの建設地として選ばれ、1983年に開園を迎えることになったのです。
だからディズニーランドまで新線を開通させてやる!くらいの情熱があったんだと思うよ。
さすが京成電鉄!千葉愛が半端ないですね!
手賀沼ディズニーランド:手賀沼ディズニーランド体験ツアー
手賀沼ディズニーランドを見てみよう
それでは改めて、手賀沼ディズニーランドの園内マップを見てみましょう。
手賀沼を挟んで楽しそうなアトラクションや施設がいっぱいで、見て想像しているだけでも思わずワクワクしてしまいます。
なお、このマップはまだ計画段階だった当時の資料をベースに沼探が想像力を膨らませて制作したものですので、多少のツッコミ所はあるかもしれませんが、その点はご理解ください。
手賀沼ディズニーランドの計画地は、現在の手賀沼公園から手賀大橋のエリアにかけて広がり、さらに対岸(南岸)の一部エリア、「道の駅しょうなん」より少し西側あたりまでを含んでいたと思われます。
ディズニーランドこそ建設されなかったけど、実は手賀沼は現在それに匹敵するほどのレジャーパークになっているんだ。
それじゃあ、計画時のアトラクションや施設が現在の手賀沼ではどう実現されているのか、体験ツアーを始めましょう!
我孫子市と柏市が手賀沼にかける想いが伝わってくると思うよ。
実際に現地に行ってみよう!という方は、手賀沼の散策方法やランチ情報についてこちらの記事で紹介していますので、ぜひご覧ください。
手賀沼ディズニーランド:アトラクションの紹介
県立公園エリア
計画当時の資料には「県立公園」と記されたエリアが含まれていますが、その位置は現在の「手賀沼公園」と完全に一致しています。
現在の手賀沼公園は我孫子市が管理する市立公園ですが、この違いを除けば、計画がほぼ実現したと言えるでしょう。
パークハウス
パークハウスは、食堂や簡易宿泊施設を備えた温泉施設として計画されていたようです。
そして現在の手賀沼で食事と温泉を楽しみたい場合は、「手賀沼観光リゾート 天然温泉 満天の湯」でその夢を叶えることができます。
満天の湯では宿泊こそできませんが、手賀沼周辺には多くの宿泊施設があるため、これらを活用すれば当時の計画に近い体験ができると言えるでしょう。
科学館
科学館は天文学や生物学をはじめ、さまざまな分野の学習や研究を行う場として計画されていたようです。
現在、手賀沼で科学に触れたい方には、手賀沼親水広場にある「水の館プラネタリウム」がおすすめです。当時の計画より規模は少し小さいかもしれませんが、ここで科学の夢を叶えることができます。
プラネタリウムは水の館の3階にあります。チケットは同じ階にある手賀沼市役所の農政課、および手賀沼課事務室で市職員に声をかけて購入します。
さらに、水の館1階には手賀沼に生息する生き物についての展示が行われている手賀沼ステーションもあり、科学だけでなく生物についての知識も深めることができます。
ロープウェイ
手賀沼を南北に渡る手段として、全長1kmのロープウェイが計画されていました。現在、手賀沼を南北に渡るには手賀大橋を利用できますが、その計画に想いを馳せることができるでしょう。
どうしてもロープウェイに乗りたい場合は、同じ千葉県内の鋸山ロープウェイや、距離を重視するなら筑波山ロープウェイがおすすめです。
沼を渡る手段という意味では橋もロープウェイも同じですので、こちらも計画通りの体験ができると言えるでしょう。
実は手賀沼大橋が完成したのは1964年(昭和39年)のことで、手賀沼ディズニーランド計画が頓挫した時期とほぼ同時期にあたります。
この手賀沼大橋の完成に伴い、1953年(昭和28年)から11年間運行されてきた手賀沼県営渡船が就航を終えました。現在でも手賀沼公園内には、かつての渡船場跡が残されています。
なお、このロープウェイは手賀沼の沼北(しょうほく)と沼南(しょうなん)を接続するためのものでしたが、ここよりも有名な「しょうなん(湘南)」には怖いと有名なモノレールがあります。
このモノレールは現在でも運行されており、運営会社が「湘南ジェットコースター」を自称するほどの爆走っぷりで有名です。興味がある方はこちらの記事をご覧ください。
手賀沼タワー
手賀沼ディズニーランドの象徴として、高さ100mの手賀沼タワーも計画されていました。
このタワーは大阪の通天閣とほぼ同じ高さを誇り、展望室からは手賀沼の壮大な景色を楽しむことができたでしょう。
現在、手賀沼の景観を最も高い場所から楽しむには、手賀沼親水広場にある「水の館展望室」がおすすめです。
この展望室は手賀沼を一望できるのはもちろん、天気が良ければ富士山やスカイツリーまで望むことができます。
高さに関する公式情報は見当たりませんでしたが、この展望台からの眺めは計画当時の体験に近いものがあると言えるでしょう。
スクールロッジ
サマースクールなどに利用するための施設として、「スクールロッジ」が計画されていました。
現在の手賀沼でその目的に最も近い施設として挙げられるのは、手賀沼公園に隣接する我孫子市生涯学習センター「アビスタ」です。
この施設は我孫子地区公民館と市民図書館が一体となった複合施設で、地域住民の学びや交流の場として活用されています。
ここは我孫子市の熱意が感じられる施設であり、当時の計画通り実現されたと言って問題ないでしょう。
スワンボート
実は当時の資料には「スワンボート」に関する記載は見当たりません。しかし沼をレジャーパーク化するなら、スワンボートが欠かせないアトラクションであることは間違いないでしょう。
そこで、沼探オリジナルマップ作成時には独自のアレンジとしてスワンボートを追加しました。
東京ディズニーランドにも「ビーバーブラザーズのカヌー体験」や「ジャングルクルーズ」といった水上アトラクションがありますが、現在の手賀沼でもスワンボートを楽しむことができます。
つまり、手賀沼は東京ディズニーランドと同じくらいの魅力を持っていると言えるでしょう。
子供電車
手賀沼ディズニーランドの遊園地エリア内には、「子供電車」としてミニ鉄道が計画されていたようです。
さて、どんな電車が走る予定だったのでしょうか?
手賀沼ディズニーランドが計画された当時、まだ東海道新幹線は開業していません。
ということは、当時の日本で最もスタイリッシュと言われた、国鉄特急のミニチュア版が走る予定だったのかもしれません。
ちなみに現在は、手賀沼公園内でミニ鉄道が運行されています。
しかも、見てください!なんと幸せを呼ぶ黄色い新幹線「ドクターイエロー」が走っています。
これは当初の計画を超える実現といっても過言ではないでしょう。
釣り堀
手賀沼ディズニーランドでは、気軽に釣りを楽しめる釣り堀も計画されていたようです。
釣り愛好者たちはそれぞれお気に入りのポイントや釣り堀で楽しんでおり、また手賀沼公園では家族連れが釣りを楽しむ光景もよく見られます。
また仮にボウズ(釣れなかった場合)でも、「農産物直売所あびこん」では美味しい魚を購入できるので安心です。
現在、手賀沼周辺は多くの釣り堀が集まる「釣り堀銀座」として知られています。
これは当初の計画を大きく超える達成と言えるでしょう。しかも東京ディズニーランドには釣り堀はありません。手賀沼の圧勝ですね。
体育館
手賀沼ディズニーランドには本格的な体育館が計画されており、休憩室、更衣室、シャワー室などが備えられる予定だったようです。
現在、手賀沼周辺には柏市中央体育館というスポーツ複合施設があるため、当初の計画通り達成されたと言えるでしょう。
バレーボールコート
当時の資料によると、屋外には4面のバレーボールコートが設置される予定だったようです。
現代において、バレーボールは主に屋内スポーツとして認識されており、手賀沼周辺では柏市中央体育館でバレーボールを楽しむことができます。
そのため、こちらも当初の計画通り達成されたと言えるでしょう。
テニスコート
当時の資料によれば、屋外には4面のテニスコートも設置される予定だったようです。
現在の手賀沼では、手賀沼公園内にテニスコートが設置されています。しかしGoogleマップの航空写真で見る限り、設置されているのは3面。
ほんの僅かですが計画より少ない形で実現されています。
音楽堂
当時の資料には「音楽堂」という施設が記載されています。おそらく、音楽鑑賞やコンサートのための施設として計画されていたと考えられます。
現在の手賀沼周辺では、柏市民文化会館というコンサートホールがあり、当初の計画はこの形で実現したと言えるでしょう。
パノラマ劇場
当時の資料には「パノラマ劇場」という施設も記載されています。
この表現は現代あまり使われないため、具体的に何を指しているのかは少し不明確ですが、「劇場」という意味では柏市民文化会館で現在も様々なイベントや芸術を楽しむことができます。
また「映画館」として捉えるなら、手賀沼近隣にはTOHOシネマズやMOVIXなどの大型映画館が複数あるため、これも計画通り現実されたと言えるでしょう。
プール・子供プール
手賀沼ディズニーランドでは、屋外プールの建設も計画されていました。
かつて手賀沼の水が澄んでいた時代には、子どもたちが手賀沼で泳いで遊んでいたと言われていますが、安全面を考えるとプールの方が適していたでしょう。
しかし当時の子どもたちが手賀沼で泳ぐことが当たり前だった影響なのか、この地域の公営プールは手賀沼から少し離れた場所に多く設置されています。
まるで、手賀沼まで泳ぎに行けない地域の子どもたちのために作られたかのようです。現在では、手賀沼やその周辺で水泳を楽しむのは少し難しいかもしれません。
陸上競技場
当時の資料には「陸上競技場」という施設も記載されています。
シンプルなトラックがあるだけの施設に見えますが、手賀沼がある千葉県柏市といえば超名門サッカーチームである柏レイソルの本拠地でもあります。
つまりこの地域がサッカーに熱心であることを考えると、この計画が実行に移されていれば、確実サッカーにも対応した大規模な手賀沼スタジアムとして建設されていたと想定されます。
もし手賀沼スタジアムが完成していれば、レイソルの本拠地はここになっていた可能性があり、チーム名も「手賀沼レイソル」だったかもしれません。
小運動場
手賀沼南岸エリアのロープウェイ乗り場の近くには、「小運動場」と呼ばれる施設が計画されていたようです。
ここはお弁当を広げたり、子どもたちが自由に遊び回ることができる芝生広場のような場所を想定していたのかもしれません。
現在、手賀沼公園内に広々とした芝生広場があり、ピクニックや軽い運動を楽しむことができます。
一方で、しっかりとスポーツを楽しみたい場合には、利根川ゆうゆう公園がおすすめです。
ここは野球場やサッカーコート、デイキャンプゾーン、自然観察ゾーンなどが整備されており、一日中楽しめる公園として多くの利用者に親しまれています。
手賀沼からは少し距離がありますが、当時の計画を大きく上回る施設が整備されたと言えるでしょう。
手賀沼遊園地
手賀沼ディズニーランド内には、ジェットコースターやメリーゴーラウンドなどを備えた遊園地エリアが計画されていました。
現在その場所には千葉県立我孫子高校が立っていますが、手賀沼周辺の遊園地と言えば、野田市にある「もりのゆうえんち」が挙げられるでしょう。
「もりのゆうえんち」は入園料が無料という、非常に良心的な遊園地です。
手賀沼からは少し距離がありますが、計画時の遊園地の規模がそのまま近隣の野田市で再現されたようで、手賀沼ファンにとっては心温まる場所となっています。
まさに計画通りに実現されたと言えるでしょう。
博物館
南岸エリアには、博物館が設けられる予定だったようです。
計画ではスクールロッジの隣に位置しており、サマースクールで訪れる子どもたちが手賀沼の自然について学ぶための施設だったのかもしれません。
現在の手賀沼には、「我孫子市 鳥の博物館」という、鳥に特化した博物館があります。鳥好きにとってはたまらないスポットであり、手賀沼の自然を学ぶにはまさに理想的な場所です。
手賀沼といえば鳥。ここでは手賀沼の豊かな自然について深く学ぶことができます。
まとめ
この記事では、手賀沼ディズニーランドという幻の計画を通じて手賀沼の過去と現在を振り返り、その魅力を再発見してきました。
当時の夢の跡地である手賀沼周辺は、今も多くの人々に愛される自然豊かな場所として発展しています。
手賀沼は、その静けさの中に秘められた歴史や物語を感じさせる場所です。次の休日、ぜひ手賀沼を訪れて、その魅力を体験してみてください。
手賀沼ディズニーランドの夢は消えましたが、手賀沼の魅力は今も変わらず続いています。あなたもこの地を訪れて、その魅力を自分自身で確かめてみませんか?
コメント