悪い神様一覧(日本編):祟り・怨霊・荒ぶる神々と信仰のかたち

悪い神様一覧(日本編):祟り・怨霊・荒ぶる神々と信仰のかたち 沼ナレ

「日本の悪い神様って、どんな存在がいるの?」そんな疑問を持った方に向けた記事です。

スサノオ、牛頭天王、道真公…名前は聞いたことがあるけれど、なぜ祟るのか、なぜ祀られているのかはあまり語られません。

この記事では、日本に伝わる“悪い神様”を一覧形式で紹介しながら、神道や民間信仰における「畏れ」と「共存」の意味を掘り下げます。

怖いけれど祀られる、不吉だけど大切にされる。その矛盾をひも解くことで、日本人が長く信じてきた“恐れと信仰の距離感”をやさしく整理できるはずです。

 

悪い神様とは?「悪=災い」ではない日本の神観

そもそも「悪い神様」って何?神道と仏教の視点

「悪い神様」という言葉を聞くと、西洋的な“悪魔”のような存在を想像するかもしれません。けれど、日本における「悪神」はそれとは大きく意味合いが異なります。

神道においては神々は善悪で分けられるものではなく、「自然現象の力そのもの」として受け止められてきました。

荒ぶる神や祟り神も悪意を持った存在ではなく、「御しがたい力」として恐れられてきたのです。一方、仏教では“悪神”は魔や煩悩の象徴とされますが、調伏(封じる、鎮める)や導きの対象にもなっています。

つまり「悪い神様=悪意のある存在」ではなく、むしろ人間が畏れ距離を取り、時に祀ることで共存してきた対象なのです。

「祟り神」「荒ぶる神」「怨霊神」の違いと分類

「祟り神」「荒ぶる神」「怨霊神」の違いと分類

“悪い神様”とひとくくりにしても、その性質はさまざまです。たとえば「祟り神」は怒らせると災厄をもたらすと信じられた存在で、災いを避けるために祀られることが多いです。

「荒ぶる神」は自然災害や秩序外の力を象徴する神格で、神話で暴れ回るスサノオノミコトのような存在が代表格。

「怨霊神」は無念の死を遂げた人間が死後に神格化されたケースで、菅原道真や崇徳院などがこれに当たります。

いずれも“恐れるべき存在”であると同時に適切に祀ることでその力を鎮め、あるいは味方につける対象でもありました。

「怖い」だけではなく「敬う」という感情が常にセットで存在しているのが、日本の“悪神”たちの特徴です。

なぜ“恐れられる神”が信仰の対象になるのか

不思議なことに、日本では「怖い存在」ほど神として祀られる傾向があります。それは「災いを避けるには、その原因を怒らせないことが先決」という考え方からきています。

特に自然災害や疫病など人間の力ではどうにもならない現象に対しては、「神として祀ることで鎮まってもらう」という逆転の発想が働きます。

実際、雷神や疫病神は各地の神社に祀られ、封印の意味合いも込めて信仰されてきました。

恐れを信仰に変えるというこの姿勢は「神を愛する」というより、「神と距離をとって共存する」という日本人特有の信仰スタイルとも言えるでしょう。

 

日本に伝わる“悪い神様”一覧

スサノオノミコト(荒ぶる神の代表格)

スサノオノミコト(荒ぶる神の代表格)

スサノオノミコトは日本神話における「荒ぶる神」の代表格です。天照大神の弟として登場し、暴風や海といった自然現象を象徴する存在として語られています。

高天原での乱暴狼藉が原因で追放された過去もあり、その振る舞いは一時「悪神」とすら見なされていました。

しかしヤマタノオロチ退治や出雲国での国づくりの神話を経て、次第に英雄的・再生的な神格としても語られるようになります。

現在では出雲大社をはじめ各地で広く祀られ、「荒々しさと再生力」をあわせ持つ神として信仰の対象となっています。破壊と創造の両面を持つ、まさに“御しがたい力”の象徴です。

牛頭天王(疫病と神仏習合の象徴)

牛頭天王(疫病と神仏習合の象徴)

牛頭天王(ごずてんのう)は疫病除けの神として信仰されてきた一方で、「怒らせると祟る」と恐れられてきた存在でもあります。

牛の頭を持つ異形の神として描かれ、インド由来の神格が日本に伝わる中で仏教と神道が融合し、京都の八坂神社の祭神として定着しました。

祇園祭の起源にも深く関わっており、都市に疫病が流行ると「牛頭天王の祟りではないか」と言われたほど。

その恐ろしさを鎮めるために神社を建て、祭りを捧げるという信仰スタイルは「災いの元を神として祀る」という日本的な信仰の典型です。恐れと敬意が一体になった“厄除けの象徴”とも言える存在です。

疫病神(伝承による災厄神の多様性)

疫病神(伝承による災厄神の多様性)

疫病神(やくびょうがみ)という言葉は日本各地でさまざまな形で語られてきました。

「老人の姿」「少女の姿」「黒い影」など、地域や時代によってそのイメージは大きく異なりますが、共通しているのは「招かれざる神」という点です。

節分の豆まきや厄払いの行事にもその影響が見られ、災厄を“追い出す”儀式の多くはこの疫病神を意識したものと考えられています。

特定の神社を持たない抽象的な信仰対象であるがゆえに、地域ごとの解釈で受け継がれてきた存在。現代でも“風邪の神様”や“流行り病の象徴”として、名前こそ出さずともその信仰は根強く残っています。

祟道天皇(怨霊神化された無実の皇子)

祟道天皇(怨霊神化された無実の皇子)

祟道天皇とは、早良親王の死後に贈られた神号です。彼は藤原種継暗殺事件に巻き込まれ、無実のまま流罪となり、その地で憤死します。

その後、都では疫病や災害が相次ぎ、「早良親王の祟り」として恐れられるようになりました。この怨霊を鎮めるために「天皇」の称号を贈り、神格として祀ったのが“祟道天皇”です。

京都の上御霊神社には彼を祀る社があり、御霊信仰の発端ともされる存在。

理不尽な死を遂げた者が“恐怖の力”として記憶され、神として迎え入れられるという、日本特有の怨霊信仰の原型がここにあります。

崇徳院(文学と怨霊の象徴)

崇徳院(文学と怨霊の象徴)

崇徳院(崇徳天皇)は日本三大怨霊の一柱とされる存在です。保元の乱で敗れ讃岐に流された後、失意のうちに没した彼は死後に怨霊として恐れられるようになりました。

その後、京都では政治混乱や自然災害が相次ぎ「崇徳院の祟りではないか」との噂が広がります。

特に彼は和歌や能、歌舞伎といった文学・芸能の中でも怨霊として繰り返し描かれ、文化的にも“祟る存在”として定着していきました。

香川県の白峯神宮では神格として祀られており、“怨霊でありながら祈りの対象”という矛盾するようで自然な信仰の形がここにはあります。

道真公(雷神と化した学者の神格)

道真公(雷神と化した学者の神格)

菅原道真(道真公)は平安時代の学者であり政治家。政争により無実のまま大宰府へ左遷され、その地で憤死しました。

彼の死後、京都では落雷や火災、疫病が相次ぎ、「道真の祟り」と恐れられるようになります。これを鎮めるために建立されたのが、北野天満宮です。

以後、道真公は“天神”として神格化され、「雷神」としての側面も持つようになりました。

現在では学問の神として親しまれていますが、その信仰の出発点には「怒らせると怖い」という意識がありました。“祟り神”が“守り神”へと変化していく、その象徴とも言える存在です。

洩矢神・ミシャグジ様(諏訪に息づく封印神)

洩矢神・ミシャグジ様(諏訪に息づく封印神)

洩矢神(ミシャグジ様)は、長野県・諏訪地方に古くから伝わる土着神です。石や棒、木といった無機物に宿るとされ、具体的な姿や物語を持たない、非常に抽象的な神格です。

そのため恐れとともに語り継がれ、時には“祟り神”として封じる形で祀られてきました。

神社の本殿には入れず、社の外にある御柱や石が信仰の対象になるなど、祭祀のスタイル自体が“封じ込め”を意識したものになっています。

神道が体系化される以前の縄文的信仰の名残とも言われており、「近づかないほうがいい神」として今も静かに息づいています。

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鉄鼠(仏敵としての妖怪神)

鉄鼠(仏敵としての妖怪神)

鉄鼠(てっそ)は堕落した僧が死後に化けたとされる、鼠の姿をした妖怪です。寺院に災いをもたらし、仏像を壊し、経典を食い荒らす“仏敵”として語られてきました。

特に室町時代以降の説話集にはたびたび登場し、腐敗した宗教界に対する風刺や警鐘の象徴とされることもあります。

神というよりは“妖怪”に近い存在ではありますが、その背後には「信仰を侮った者への報い」という、恐れの感覚が宿っています。

仏教の内部から生まれた“恐れるべき存在”という意味で、鉄鼠は「教義を超えた神的な怪異」として位置づけられることもあります。

物部守屋の怨霊(敗者が神になる例)

物部守屋の怨霊(敗者が神になる例)

物部守屋は、古代日本における神道勢力の中心人物でした。仏教導入を進める蘇我氏と対立し、最後には戦で敗れて命を落とします。

守屋の死後、都では疫病や災害が相次ぎ、彼の怨霊が原因とされるようになります。一部地域では守屋を祀る神社が建てられ、怨霊の鎮魂とともに神としての扱いを受けるようになりました。

信仰が制度として整う以前、日本では「強い者の死」を恐れる文化が根づいていました。

敗者が神になる。物部守屋の存在は、政治的敗北がそのまま“神格化”へと転じる、日本的な怨霊信仰の典型例です。

荒神(台所に潜む日常の神)

荒神(台所に潜む日常の神)

荒神(こうじん)は、家庭の火を司る神でありながら、「怒らせると火事を起こす」「家族の不和をもたらす」とも言われる存在です。

特に台所やかまどの神として各地で信仰され、「清潔に保たなければ祟られる」といった生活に根ざしたルールが多く伝わっています。

荒神は“悪い神様”というより、「機嫌を損ねると怖い神様」という位置づけ。定期的に供物を捧げ、台所を清めるなど、“共に暮らす”ことが前提となった信仰です。

日常に溶け込みつつ家の運命を左右する力を持つ。そんな存在として今も密かに祀られ続けています。

 

なぜ悪い神様は信仰され続けているのか?

“怒らせない”ための信仰という逆転発想

「怖いものは封じるか、祀るしかない」。これが日本の神信仰における基本的なスタンスです。

悪い神様が信仰の対象になるのは、決して“好きだから”ではなく、「怒らせないため」という防衛本能から始まっています。

たとえば疫病神や雷神など、災厄をもたらす存在には神社を建て、供物を捧げ、定期的に祭りを行う。これは神を「愛する」というより、「御す(ぎょす)=扱う」ための信仰です。

災いと利益が表裏一体であることを理解していたからこそ、日本人は“畏れの対象”に対しても祈りを捧げる道を選んできたのです。

集落や職業ごとに根づく“祟りと共生”の文化

集落や職業ごとに根づく“祟りと共生”の文化

山、火、水、病。人間の生活に密接に関わるものほど、その背後には“荒ぶる神”が宿っていると考えられてきました。

林業や農業、漁業など、自然と向き合う職業では特に「怒らせない」信仰が強く、地域によっては災いの神を“味方”として迎えることもありました。

また祟りという存在が地域共同体の団結を強めるきっかけになることも。祟りがあるから助け合う、恐れがあるから秩序が生まれる。

そうした文化の中で、悪い神様は“ただ怖い存在”ではなく“共に生きる存在”として受け入れられてきたのです。

今も続く「おとなしくさせる」ための祭りや儀式

悪い神様に対する信仰は、今も地域行事の中にしっかりと息づいています。たとえば御霊祭や祇園祭、火祭りなどは、もともと“怒りを鎮める”ことを目的とした行事です。

神輿を荒々しく揺らすのも神を楽しませ、ご機嫌を取るための所作とされています。また災厄を“他に移す”ための人形流しや、厄を吸い取るお札の文化も同じ発想です。

見た目は派手でも、その裏には「静かにさせたい」という祈りがある。表の華やかさと裏の畏れ。この両面が悪い神様と人間の距離感を物語っています。

 

悪い神様とどう付き合ってきたか:人間の知恵

「怒らせない」「祟らせない」ためのマナーとしきたり

悪い神様とは「丁寧につきあうべき存在」でした。たとえば祟り神の社には定期的に供物を供え、周囲を清掃し、祠を粗末に扱わないというルールがありました。

こうした信仰は家の中にも取り込まれています。台所に荒神を祀ったり、神棚に水や米を供えるといった習慣も、すべて「怒らせないための礼儀」だったのです。

これらのしきたりは一見単なる風習に見えますが、実は「畏れを忘れないための装置」として長く受け継がれてきた知恵でした。

信仰と風習の中で“役割”を担わせた神々

信仰と風習の中で“役割”を担わせた神々

日本の神様は、人間が“設定”する存在でもありました。自然の力や災厄に対して、「これは●●の神の仕業だ」と名前と性格を与えることで、扱いやすくする。

ときには神様に“怒り担当”や“災い担当”といった役割を担わせ、秩序を保つための装置として活用することもありました。

信仰とはただ願うものではなく、社会の中で機能を持つものでもある。悪神を設定することで善神の存在もまた際立ち、人々の間に「こうあってほしい世界」が構築されていったのです。

現代に残る“信仰のリアル”とその意味

現代でも「祟りはある」「神罰が怖い」と本気で語る人は少なくありません。特に神社跡に建物を建てたり、祠を壊したりすることには抵抗を感じる人が多いはずです。

これは“信じている”というより、「何かあったら嫌だから触れないでおく」という“現代的な畏れ”の形。

祭りや初詣なども形式の中に「忘れないようにする」努力が込められています。信仰は今もなお、「ないと不安」なものとして私たちの中に生きているのかもしれません。

 

まとめ

悪い神様一覧(日本編):祟り・怨霊・荒ぶる神々と信仰のかたち

「悪い神様」と聞くと、どこか怖くて避けたくなる響きがあります。でも日本における“悪神”は、ただの悪意ある存在ではありませんでした。

荒ぶる力、手に負えない自然、悲劇の記憶。それらとどう向き合うかを考えた結果として、「祀る」「敬う」「共に暮らす」という知恵が生まれたのだと思います。

信仰は愛や感謝から始まるものだけではありません。むしろ日本の信仰の多くは「恐れ」から始まり、「どうすれば怒らせずにすむか」を考えるところからスタートしています。

悪い神様を知ることは怖いものに蓋をするのではなく、「それでも共に生きる」という人間の在り方に触れることでもあります。

今も静かに、忘れられずに祀られている神々たち。その存在がどれだけ多くの人たちの“祈り”や“日常の秩序”を支えてきたか。

そんなことを少しだけ感じていただけたなら、この記事の意味があったのかもしれません。

編集後記

編集後記

今回は「日本の悪い神様一覧(日本編)」というテーマで記事を書きました。

この記事を書くきっかけになったのは、実際に各地の神社やお寺を訪れる中で感じた、日本の神様の“自由さ”でした。

特に印象的だったのは、長野の諏訪大社。ここは本殿がなく、山や自然そのものを神として祀る「諏訪造り」という独特の形式。自然が神様という感覚は、まさに日本らしい信仰だと感じました。

でもそんな神様を祀る境内に、奉納された日本酒の樽がずらっと並んでいるんですよね(笑)。

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神様は自然なのに、お酒大好きってどういうこと?って思いながら、でもその自由さこそが日本人の“神様感”なのかもしれないと気づきました。

「千と千尋の神隠し」で八百万の神々が温泉に入りに来るシーンのように、日本では神様ってどこか身近で、ちょっと人間っぽい。時に祟り、時に助けてくれる、そんな“生活の中にいる神様”なんです。

今回の記事では、疫病神や怨霊、キングボンビー(貧乏神)のような“悪い神様”たちを取り上げました。でも彼らも日本人にとってはただの恐怖の対象ではなく、「祀ることで共存する存在」。

距離を取るより祭って仲良く暮らす。そんな日本らしい知恵が、この記事の中に詰まっています。

 

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